INAX
BOOK: INAX出版「新坪庭考」 TITLE: 「都市という身体のツボ」

京都に住んで12年. この間、有名無名さまざまな庭園を見てきましたが、その中で、私が最も心ひかれたのは、名園と呼ばれる有名な寺院の庭ではなく、むしろ京都の町家などに見られる、ごく小さい、簡素な「ツボニワ」でした.

家屋の中にあり、四方を部屋や廊下に囲まれているこの庭は、たとえば5、6本の四方竹、蹲踞と傍らに佇む古い石燈籠、自然そのままの静けさを漂わせる苔など横成され、その意匠はあくまでも簡素なものです.

ツボニワの簡素さは、見る者の心を静め,時を経つのを忘れさせてしまうような神秘的な力を持っています.このようなツボニワに魅せられ、その神秘の源を追究するうちに、私はツボニワへの理解を開く鍵が、「ツボ」という文字にあることを発見しました.

「ツボ」を表す最も普通の漢字は「坪」と思います.ご承知のように「坪」は面 積を表す単位で、一坪は二枚の畳分の広さ、つまり3.3平方メ−トルに当たります.実際のツボニワは3.3平方メ−トルより小さいものも、大きものもあるわけですが、「坪庭」と書く場合には、「ごく小さい庭」という意味を表していると言えるでしょう.

次に考えるのは「壺」という文字です.この漢字を使うと、「壺庭」は、「坪庭」と書く場合の平面 的なイメ−ジを超えて、立体的な空間を表すようになると思います.かりに、「ツボニワ」を壺にたとえてみましょう.壺の内回りが庭を囲む部屋の壁、壺の底は庭の土、壺の口は庭にかかる屋根の庇、というように壺の中に庭があるような感じです.穏やかな光り、サワサワとした葉の動き、シトシト降る雨の音、クチナシの甘い香り、これらを包む「壺庭」は、まるで建物という箱に納められた宝物です.

これらの二つの字を使い分けについては、建築家が製図をする時は「坪」を用い、国語辞典や本などでは「壺」を用いている場合があります.ではここで、わたしの解釈で、ツボを表すもう一つの漢字を紹介したいと思います.それは「経穴庭」というものです.この単語は東洋医学用語から見つけたもので、私には「ツボニワ」の精神的側面 を最もよく表す言葉だと思われます.

東洋医学では生きている者の体中に、血管や神経と似ているけれども、別 に「気」という流れがあると考え、その流れに沿って所々にある重要なポイントを経穴(ツボ)と呼びます.そして、この経穴を手技や、指圧、針、灸などで刺激することによって、気の流れを活性化し、体力や抵抗力を高め、疲労や病気を癒そうと考えるのです.

ここで、かりに建物を体にたとえるならば、建物の中で営まれる人間の暮らしは、体の中の気の流れとよく似ていると言えるでしょう.私達の家は、そこに住む家族一人一人の生活をはらんで、団樂なり、喧騒あり、実に激しく動いています.時には、この暮らしの流れがさまざまな原因から逆巻いたり、滞ったりすることも避けられません.このような暮らしの激流、渦の真ん中に置かれる時、「経穴庭」は、人々の暮らしを活性化させる「経穴」の役割を果 たすことが出来るのではないでしょうか. こうした意味で、私は、ツボニワにあえて「経穴庭」という字を使いたいと思うのです.

さて、東洋思想の「道教」の視点から経穴庭をもう少し分析したいと思います. 道教のコスモロジーによる、世の中の全ては「無気」(ウウチ)という不変的、単独的、静的な状態から発生したといわれます. ある一瞬、無気が、陰と陽に別けられ、「太気」(タイチ)になったと説明があります. 太気には、光に対して影があり、死があれば命があり、悲劇には幸、等などの我々のコスモスの両面 性が陰陽で表現していあます. 太気の陰と陽を表わす、よく見かける模様があります(ページ??参照). この模様は、二つの巴で、陰と陽の調和している状態を意味するわけです.

注目してもらいたいことは模様の中の小さな「丸」です. 調和という状態には、隠と陽の巴が単に抱き込まれているだけではなく、隠の真ん中には少々陽が入り、逆に陽の中には隠が存在しています. つまり、近ずくだけで調和になりません. お互いに、相手の真髄を心の中に取り入れなければなりません.

隠と陽が数々のことを表わすことができます. 例えば、月と太陽、女性と男性、受動性と活動性、様々な両面 的なことがあります. ここで、片方を自然にして、片方を人間社会にする場合、その調和状態を意味している、真ん中に取り入れている「丸」というのは、どういう意味になるのでしょうか.

自然側の中の人間社会「丸」が自然へ行く人々の活動を表わしています. 例えば山登り、キャンピングなどの冒険、それに各部門の自然科学研究、または風景画、短歌などの自然で行うべき芸術活動です. つまり、人間が自然に入り込んで、自然を理解し、自然の良さを吸収することです.

逆に、人間社会の中の自然の「丸」が表わしていることは、例えば、都市の中の公園、植物園、ネイチャーセンター、コミュニティーガーデン(貸し農園)、様々な自然と触れ合える場所です. また、よく見かけるコンクリートの護岸工事された河川より、都市の中の河川であっても、川の自然の姿を生かすことです. そして、自然を人間社会のど真ん中に、生活のすぐ側に、取り入れる方法として、経穴庭は最適だと思います.

庭園というのは、あくまでも、都市から産まれたと考えられます. 世界の民族が初めて庭園を作り出すのは、ちょうど都市文化が発達した時でした. 街の中に見つけられない、懐かしい自然な様々な良さを思い出すために庭園を作りました. 現在、世界の人口の45%は都市区域に住んでいます. 2025年までにこの数字は60%に延びるといわれています. これを考えると庭園を都市のプランに取り入れることが益々大切となります. それに、最も都市に取り込みやすい庭園洋式は経穴庭だと思われます.

確かに、経穴庭は大自然ではありません. 解釈され、浄化された自然ですが、自然のリズム感、美意識、気配を表現する力があります. この力で、経穴庭は、自然と人間社会の間の調和を取るための大きな役割になれることは間違いないと思います.