MAGAZINE: 文藝春秋、1999年三月特別号 TITLE: 「京都の危機」
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私は1958年ニューヨークに生まれ、そこから車で少し北にある森林に抱かれた近 郊で育ちました。父には、キャンプをするため更に北にある山へよく連れて行かれ、 ファッションデザイナーとして活躍した母には、美術館へ行ったり、クラシック音楽 の演奏を聴きにニューヨークの街へ連れて行ってもらいました。あれから長い年月を 経た現在、自分の子供の頃を振り返ってみて、私が今持っている庭園に対する興味 が、その頃の大自然と都会的芸術の間を行ったり来たりしていた経験から湧いたこと に気が付きました。実際、私は「庭園」というものが大自然と都市という2つの世界 の境に存在するもの、より正確に表現するならば、その両世界がお互いに向かい合っ て共存している場所であると考えるようになりました。 こうして生まれた庭園に対する興味により、私は15年前に京都へ来ました。京都の 優れた作庭の歴史は、平安京の建都から現在に至る1200年の間、連綿と途絶える こと無く続いており、庭園は間違いなく世界中で最も発達した文化の一つです。そう いう文化を育んだ街に住めば、きっと庭園についての新しい見方を得られると私は考 えました。しかしまた、日本庭園を理解するためには、先ず他の日本文化にどっぶり と漬かる必要があるとも思いました。日本の劇、書、絵、食、あるいは建築といった 観点から見ると、庭園を最もよく理解しやすいと考えたからです。 こうしてたどり着いた京都は、私には計り知れないショックでした。京都の庭園は、 写真で見たより、夢で見たよりあらゆる面で優れていました。ところが、都市自体は つまらなく、醜く、無様に広がっていました。受け継がれてきた伝統的な生活環境が 急速に破壊されつつありました。永遠に巡回し続けるゴミ収集車に飲み込まれるエサ として、見事な茶箪笥や水屋を道端に捨てている人を毎日見かけました。安っぽい洋 風プレハブ住宅を建てるため、繊細に作り上げられた町家があちこちで潰され、庭園 が駐車場のアスファルトの波に飲み込まれていきました。 私は突然、自分が、目の前のものを全て押し流していく容赦のない川の流れに逆らっ て泳いでいるように感じました。私が日本へ探しにやって来た、精神を育み、感性を 目覚めさせてくれる繊細な文化が、その文化を生み出した民族自身によって価値の無 いものとして扱われていることに愕然としました。それはまるで不必要とされ、ほん の少しのためらいを感じさせるものの、もう誰の役にも立たないために捨て去られる 去年のクリスマスカードのようでした。こうして、古くなってはいても、その大抵が まだ美しさを失っていない日本のものが、新しくはあっても安っぽい西洋のものに 取って代られました。京都市当局が、三条と四条の間の鴨川にパリのポン・デ・ザー ル橋のレプリカの建設を提案したことにより、この悪しき流れは頂点を迎えました。 例えばフィレンツェ市のように、もし京都市が自らの伝統文化の保存という点で世界 的に高い評価を浴びるほどしっかりしていたならば、この橋の提案の重大性はそれほ ど大きなものではなかったかもしれません。(勿論、フィレンツェ市長はそんな提案 など絶対しないでしょうが。)しかし、京都は実際、西洋文化礼賛の下、自身の輝く 伝統文化の多くを失いつつあるため、ポン・デ・ザール計画は、伝統文化消失の流れ を代表するシンボルになりかけました。結局、この誤った橋の計画を聞きつけた多く の市民が立ち上がり、同計画に対する反対運動を推進したため、橋の計画は取り止め になりました。 勿論、京都は未来に向かって発展し、新しいアイデアを取り込まなければなりませ ん。京都に残されている歴史環境を守ることは非常に大切ですが、京都を歴史保存の テーマパークにすることは良いとは思いません。問題は、京都が取り組むべき「新し いアイデア」とは何かということです。例えば、日本全国で最も大きな駅ビルを持つ ことは、ほんとうに京都の進歩を表すものでしょうか。また、交通 量を最大限許容す るために、50年間成長してきた御池通 のケヤキをすべて抜いてしまうことが前向き な考えと言えるでしょうか。今この時代に明らかになったことは、都市の成功は建設 現場の数や大きさで計るものではなく、むしろ、都市の健全性と永続性を計る最も信 頼できるバロメーターは、都市とその都市を育む自然環境の関係であることです。庭 園は、この関係に二つの方法で役立ちます。 まず初めに、既存の庭園を都会の中にある自然として保護する必要があります。京都 のマスタープランでは全般的に保存を優先するべきですが、庭園はそのリストの上の 方に据えるべきです。本来、京都は例えば免税措置を講じるなど、庭園を守るための 条例があってしかるべきです。これは、庭園を維持する所有者を元気づけることにな るでしょう。また同じく重要なことは、庭園を作ったり手入れをする庭職人が必要に なることから、庭園に関わる商売を支えることになることです。 京都の庭園は、都市の将来展開についてのヒントも与えてくれます。すばらしい美し さを湛え、抑制されていながら感覚に訴えてくる京都の庭園は、人間による支配と原 生のままの自然との間の見事な調和を表現しています。庭園には、人間の都会での暮 らし方と、自然界を構成する複雑な生命系との調和のとれた関係を成り立たせるため の教えが、無数に含まれています。神社の木、石、水に対して畏敬の念を抱くのと同 様、庭園に使われている自然の素材には深い精神的意味合いが含まれています。この 自然に対する敬意は、庭園が私たちに教えてくれる最初の教訓であり、もしこの教訓 が守られるならば、例えば、都市がそこを流れる河川をコンクリートで窒息死させる といったことはなくなるでしょう。また、庭園に見られる四季の変遷は、他のもっと 入り組んだ自然の営みを見せてくれます。これは、都市がより大きな自然環境のほん の一部に過ぎないもので、いろんなレベルで自然との相互関係を築かなければならい ことを思い起こさせてくれます。こうした考えに基づく一つの試みは、例えば、都市 の生ごみを周辺の農地の肥料として堆肥化し、土から奪い取った栄養分を土に還元す るサイクルを築くことが考えられます。最後に指摘したいことは、庭園を真面 目に手 入れすることが人を優しくしてくれることです。日本経済の姿勢がバブル時代の「建 設優先」メンタリティーから脱却できれば、都市と国土の維持・管理が重要性を帯び ていくでしょう。 |